沿革の詳細
創業から太平洋戦争終結まで(1918年〜1945年)
丸池海運の前身である丸池回漕店が開業、同年早くも蒸気機関車・客貨車・橋梁・工作機械・水圧式ボイラ等の重量長大物を国内輸送するほか、朝鮮・中国・台湾・樺太に海上輸送する傍ら海外各地に作業員を派遣し陸揚作業に従事した。特に満鉄(南満州鉄道)自慢の暁の超特急「アジア」号(自重85トン)の陸揚げは満鉄当局から卓越した技術の賞讃をうける。中国への車両・プラント類の需要増大にともない内地積み出し、現地陸揚げをピストン輸送により遂行。
日本経済復興期(1946年〜1955年)
終戦直後の混乱期にあっても戦前・戦中の実績を評価され、貿易公団や政府貿易のご用命により、ソ連向け輸出の木造艀船及び曳船、鉄道車両の船積作業を拝命。同じく台湾、ビルマ向け水力発電用鉄管、インドネシア向け救助物資として木造漁船40隻など船積作業を拝命。
日本経済産業興隆期(1956年〜1965年)
自動車メーカー殿よりチリ向けバス600台を東京港・川崎港に集荷、船積。なお、これがわが国で最初の容大かつ重量貨物の船積一貫作業となる。これを機に同社の京浜港における乙仲業務を受注、完成車、ノックダウン(KD)部品および補用部品の引き取り、保管、通関、船積みにいたる輸出業務に従事し今日に至る。日立港開港(1959年一昭和34年)にともない同港での積卸作業のご用命を賜わる。タイから修理発注された蒸気機関車26両の積み取り、引き揚げ、再陸揚げ。わが国初の原子力発電所建設にあたり、イギリスからの大型機械の横浜港受け取り、通関、日立港に輸送して無事陸揚げし、関係者の熱い期待に応える。その他、アルゼンチン向け電車、客車540両やエジプト向けディーゼルレールバス450両の船積み。このほか、東南アジア、南アメリカ、中東の諸国、中国、台湾、韓国向け鉄道車両そのほか重量長大物の船積作業に多数従事の実績あり。以上のように港湾の一貫輸送に従事する一方、豊かな経験と卓越した技術が評価され、海外諸国の要請も受けて技術指導などのため多数の社員を海外に派遣。インドネシア・マカッサル向け製紙プラントの海上輸送および現地内陸送、保管に協力のため社員を長期派遣。アルゼンチン、ベネズエラ向け石油精製装置一式の船積み、通関業務指導のため、社員を長期派遣。サウジアラビア、レバノン向け発電プラントー式の船積み、現地内陸輸送、通関業務に社員を長期派遣。ブルネイLNGプラントの船積み、現地での絆回漕陸揚げのため社員を長期派遣など。
高度成長期(1966年〜1988年)
自動車メーカー殿から拝命の京浜港における乙仲業務のうち、特に大型契約として中国向け大型・中型トラック計10,000台を川崎・東扇島での集荷、船積み業務に従事。自動車メーカー殿のノックダウン(KD)部品の船積み形態はアイルランド向けを初回として遂時、在来船からコンテナ船へと移行。これに伴いバンニング作業を開始する。また、コンテナ船はより合理的な海上輸送手段として急速に一般化して海上コンテナの需要が急増する。これに伴い、複数メーカー殿が製造する海上コンテナの輸出業務をいち早く開始。京浜港で船積みされるコンテナのほぼ100%を手掛け、最盛期には年間20,000本を超える取扱量となる。プラントメーカー殿からニュージーランド・オークランド向け橋桁の船積一貫業務を拝命。長期間にわたる重量長尺物の輸送を完遂。これは全長110メートル、重量400トンの超重量物30本を無解体で船積みするというかつて世界に類を見ない離れ業として業界の注目のうちに完遂し称賛を浴びた。以後メーカー殿の指定乙仲として横浜第二工場岸壁での輸出入および国内輸送に従事。プラントメーカー殿のアルジェリア・アルズ石油精製装置300,000トンの現地納入作業に従事するため社員数名を長期派遣して陸揚げ、内陸輸送、現地輸入通関の監督を行なう。以後、プラントメーカー殿の指定乙仲に起用されたのを機に社員を同社させ、中国、アルジェリア、フィリピンなどに向けた輸出諸プラントの梱包、船積みの社員を出向派遣してきた。以上のとおり海外に雄飛するわが国重工業の物流を担当してきたが、単に国内のみにとどまらず、輸入国における現地港湾業務にまで広く起用されるに至った。従来も海外技術指導のために社員を派遣してきたが、さらに世界にまたがる一貫作業を委託され、多数の社員が海外での活躍の場を踏む。主なものを列記すると、アルジェリア・ハッシロンメル地区にガスリサイクリングプラン卜を建設するにあたり、480,000トンにのぼる資材の船積み、現地陸揚げ、内陸輸送、現地通関の一貫作業。アルジェリア・ハッシロンメル〜ハッシメサウド間320kmにパイプラインを敷設するにあたり、これが輸送に従事。さらに当プロジェクトに使用した建設機械、車両などを持ち帰るのに際して、現地輸送および船積み後、スペイン・バレンシアに荷揚げし、機械の仕分け、管理を行なう。社員数十名を長期にわたり派遣した大事業なるも完遂。マレーシア・ビンツル向けLNGプラント資材200,000トンの陸揚げおよび内陸輸送の現地指導監督アルジェリア・エルアスナム、サイダ両地区のセメントプラントの船積み、現地揚げ荷役、内陸輸送の一貫作業に社員数十名を派遣。インドネシア政府に納入する肥料プラント200,000トンの陸揚げ、内陸輸送、輸入通関の現地指導、監督。3年間の長期にわたるアルジェリア政府に納入するLPGプラント340,000トンの通関、船積作業に従事。同時に現地陸揚げ、内陸輸送、輸入通関の指導監督に4年間派遣。このように国内外の港湾運送事業に広くご用命をいただくのと並行して、重量長大物の輸送に技術力と実績を認められて、鉄道車両メー カーから鉄道各社に納入される車両の輸送と復元にも数多く従事してきた。中でも特記すべきはこの頃、各鉄道メーカー殿や鉄道事業者(銀座線、丸の内線、東西線、南北線ほか)、東京都交通局(新宿線、浅草線、三田線ほか)、横浜市交通局に納入される地下鉄車両の輸送および復元作業はほぼ100%を受注。同じく東京モノレール(羽田空港線)や地方都市のモノレール、路面電車、さらには立山、黒部ダムの地下ケーブルカーなどの輸送据え付け、復元作業にも多くの実績を持ち、高評価を得て今日に至る。各商社から南北アメリカ、中近東、東南アジアの諸国、中国、台湾、韓国などへの工作機械、発電機、冷凍機、プラント機器類などの輸送、据付作業にご下命を賜る。
バブル崩壊から平成不況期
前述のとおり昭和30年代から引き続き自動車メーカー殿の商品保管・通関・船積みにご指名をいただいている。東南アジアをはじめ世界各地への輸出の拡大とともに、当社の作業量も年ごとに増大。また1982年(昭和57年)から始まったバンニング作業はこの頃から急速に進展し、インドネシア、タイ、ポルトガルを中心に出荷量が大幅に増えた。これに対し社をあげてその対応をはかる。年間の作業量は完成車20,000台、コンテナはKD部品16,000本(20フィート換算)、補用部品1,200本(同)にも達す。プラントメーカー殿からタイ、インドネシア、韓国、フィリピン、中国、インド向けに数次にわたり累計130,000トン余の紙製造用および仕上用プラント、国内外自動車メーカー向けに自動車用プレス機械累計45,000トン余の輸出船積一貫業務のご指名を賜わる。同社からはこのほか台湾向けに石炭、鉄鉱石連続アンローダや台湾、トルコ向けに鉄鋼圧延プラント、中国、インド、アルジェリアなどにLPGガス製造プラント、そのほか重量・大型プラント類の一貫業務にご下命をいただく。一般雑貨、小口貨物についてもご愛顧をいただく。日立港における小名浜・門司・新居浜航路の揚げ荷役のほか新たに日立港(および釧路港)を拠点に川崎近海汽船の定期貨物船 “第一・第二 ほくれん丸” が就航するにあたり、プラントメーカー殿から同船の揚げ荷役のご指名を賜わる。プラントメーカー殿から同社がイラン・アラク国営製油所の建設工事を受注したのを機に150,000トンに及ぶ資材の荷役、陸上輸送監督業務のご用命をいただく。一年有余にわたり社員を十数名派遣。このほかプラントメーカー殿からはシンガポール・エチレンプラント建設プロジェクト、アルジェリア・タバンコールガス処理設備そのほか多数の現地荷役、輸送監督業務を受注。電力会社や前記各商社からトルコ向け電気機関車45両、アルゼンチン向け地下鉄131両の輸出船積み、オーストリア・プラッサ社製の鉄道保線車両157両の輸入取り扱い、また鉄道車両製造会社からシンガポール、台湾、タイ向け鉄道車両計100余台の輸出船積業務にご下命を賜わる。
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